こころの近視と遠視

お久しぶりのブログです。
日付の上ではもう夏休み、社会人になるとありがたみが100倍くらい違う。
もう書かないというか書けないかと思ったけど、なんとなく感じたものがあったので書いてみる。

メガネを掛けるようになって10年超。
遺伝的にも視力が悪い家系で、姉なんかは両目で近視とが分かれてたりする。
でもそれだけでなく、読書をよくしていたのも目が悪くなった原因だろう。

最近家のどこかが整理されて、小学生のころ読んでいた本が出てきた。

昔の私はザ・文学少女で、土曜になるとひとりでに目が覚め、図書館には開館の朝9時ぴったりに入っていくような子だった。
ぐーたら13時まで寝ている今の私とは大違い。なんてえらかったんだろう。
中でも青い鳥文庫は小学生の時によく読んでいて、いくつかのお気に入りの本は買ってもらったりしていた。
その時の本が今回出てきたわけだ。

なつかしさに思わずページを開いてみる。そして、違和感。
あれ…なんか記憶にあるものより面白くない…?
内容が変わってるわけではないのに(そもそもうろ覚えだけど)、なぜなんだろう。

そこでふと心当たったことがある。
最近、ほしいと思ったマンガをあげつらねてみた時のこと。
実際にそのリストを敬称略でのせてみる。(4作だけだけど)
・ミステリと言う勿れ/田村由美
・マキとマミ/町田粥
私の少年高野ひと深
・ほしとんで/本田
内容がわかる人にはわかるんだけど、ずいぶん大人向けになってきた。

そう、私の好みが単に変わっただけだった。
青い鳥文庫の対象年齢は小学校低学年〜高学年。そろそろアラサーを迎える私は、ターゲットとしてはとっくにお呼びでない層なのだ。

歳を重ねていくと、見えていくものが変わる。
最近はドラマの見方がかなり変わってしまった。
例えば、医療ドラマで倒れている人を見つけた薬剤師さんが、勤め先ではない病院の処置室まで一緒に入っているのを見たり。
例えば、推理ドラマで被害者と顔見知りの小さい男の子を、容疑者の顔を見せるために男の子一人で連れてきたり。
(※決してドラマのことを貶めているわけではありません)
「部外者ってそこまで入れるのかな」とか、「親御さんにはどうやって許可取ったんだろう」とか、本筋とは全然関係ないディテールばかりが気になるようになったのだ。

実際の視力とは別に、人にはものの見え方に近視と遠視があると思う。
これまでは近視で、全体像を見て好きだな、と思っていたところが、今は遠視になって遠くからでもよく見えるようになった。
これは進化or退化ではなく、変化なのだと思う。
ディテールが見えるのは芸が細かいところに感激を覚える一方、さっきのドラマのように細かいところでつまずいてしまう。
青い鳥文庫を読んだときのような、いつまでも瑞々しい驚きと感激を味わえるような大人でいたい。

近視と遠視を両目に持つ姉のように、どっちの目もこころに残しておきたいな、と思った。