悲しい目標

部屋を片付けると予期せぬものが出てくる。
たとえば15年は遊んでないパズル(しかも8個も)、私も知らないへそくり、小学生のころ使った鍵盤ハーモニカ。
そんな中でもこのあいだの片付けで見つけたのは、目標だった。


わたしは初志貫徹のむずかしい人間で、だいたい目標を立てては倒れて終わっているのだけど、そのくせ心機一転目標をリセットする習性がある。
その目標はちょうど大学4年生の4月ごろ、もう7年近く前の自分が立てたものだった。


その目標は、30歳までにやりたいことリストの形式を取っていた。
本を何冊読むだとか、海外何ヵ国に旅行するだとか、友達誰々に会うだとか、たわいのないものだ。
下の方に目を移すと貯金の目標が書いてあった。
○円貯める。まあここまでは普通だ。
その隣に、奨学金○円+葬儀代○円、と書いてなければ。


つまりその時のわたしは、とっても死にたかったのだ。


大学4年生の春。記憶の中では、初めてできた彼氏とたったの3ヶ月で無残な別れを迎え、就活はやる気がなくボロボロだった。まあ悲惨だ。
寝るのも遅くなり、たしか夜中の2時3時にちいさな灯りだけがある暗い部屋で、悲しい決意とともに書いた目標だった。
過去の自分の心情など手に取るようにわかる。
わたしには奨学金もあるし、葬儀にはお金がかかる。迷惑かけないように貯めなければ。
すぐ死ぬと困るし、生きてる間にいわゆる会い納めしたい人たちもいる。
本だって読めるなら読んだ方がいいだろう。
きっとそんな気持ちで書いていたはずだ。にしたってずいぶん早いエンディングノートだ。


そんな悲しい目標を立てたあとからアラサーに足がずぶずぶの今の私に至るまで、いろんなことがあった。
就活は奇跡の逆転ホームランで第一志望に受かり、入社後は病気したりメンタルやられて会社行けなくなったり、社内恋愛の泥沼のまんなかにいたり巻き込まれてトイレで泣かれたり、後輩の面倒であっぷあっぷしたり。
側から見ればどうかわからないけど、わたしからすれば濃すぎるくらいいろんなことがあった期間だった。もうお腹いっぱいだ。
そんな人生で、つらいこともそれなりにたくさんあって、だけど今も生きている。


この数年の病気や戦争で、人が1人亡くなることの、客観的な重さというものがよく身に染みてきた。
あのやりたいことリストは、ここまでがんばったなら解放されてもいいよね?と自分にかすかな希望を与えるものだった。
だけどそんな開放とか希望よりも、つらくても生きる方向で進んでこれたことが、本当によかったと思う。



もしも今度あのやりたいことリストを新たに作るなら、絶対に無理難題をふっかけてやろうと思う。
リストを達成しなきゃ死ねないのなら、達成できない目標にしたらいいのだ。