派閥の話

先日、部署の後輩とひと悶着あったのだが、その時に言われたことがあった。
「○○ちゃんも私さんの『側』って言ってて」
とても、もやもやした。

私の派閥嫌いは根深い。
小学6年生のとき、幼稚園からの仲良しの友達をいじめてしまったことがあった。
同じグループの1人がその友達の悪口を言い、その内容がどうしても許せず、その友達をグループから弾いてしまったのだ。
発端となった子が言っていて、いやだったことが2つあった。
1つは『話を盛り上げようと思って嘘を言ったら大ごとになってしまい、止められなかった』ということ。
もう1つは『私たちのグループがクラスの中でも上位になったのが楽しかった』ということ。
虚しくなってしまった。

いじめは人の人生を狂わせる。
どうでもいいささいな嘘をついたその子と、友達よりその嘘を信じて止められなかった自分がとても嫌いになった。
そして、クラスの中で上位だとか、罪を犯している自分たちがどうしてそんなしょうもないことで喜べるのか、と疑問に思ってしまった。
自分が何かしらのグループにいるとまずい。そう思い、それから中高6年間、私は派閥争いから逃げることとなる。
(この件から軽い人間不信になり人間性がこじれるのだが、今回は置いておく)

人間関係とは、究極1対1の関係だと私は考えている。
部署の後輩とのひと悶着で私が解せなかったのは、後輩と私の間の話なのに○○ちゃんの意見を持ち出してきたことだった。
1対1から2対1になっている。違う人を出すとその人との関係を忖度する必要が出てくる。(実際には私の味方らしいが)
あんまり正々堂々としてないな、という印象を受けた。

人間関係やいじめの話で思い出すのはさかなクンさんの以下の記事だ。

朝日新聞デジタル:いじめられてる君へ 2006年12月2日掲載

中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html

この記事を読んでから、ずっと人間関係は1対1が大事だと思ってる。

私の派閥嫌いは中高まで続いたが、大学ではかなり治まった。
大学に通う学生の性質もあるが、自分で授業やサークルを選び、人間関係を取捨選択できたのが大きいと思っている。
会社は簡単には異動できないし、人間関係を選択できる余地はほぼないと言っていい。職場でもなんとなく派閥のようなものはできてしまっている。
ただ、大人になって私を含めほとんどの人が上手くやるということを覚えたので、もう少し生きやすくなった。
(今回の後輩みたいな特殊な事例もあるけれど)

いまだに1匹狼みたいなところはあるけど、派閥はやっぱり気に入らないけど、でもまあいいか、と思えるようになったのだ。