本の読み方が変わった日

昔は読書好きとして名を馳せた私だが、活字の小説から離れて久しかった。
だけど行き詰まって何か刺激がほしいと思い、久しぶりに読んでみた。
選んだのは吉本ばななの「キッチン」。中学2年以来の再読となる。
読んだ瞬間驚いた。この物語ってこんなによかったっけ?

「キッチン」という本には3つの短編が収録されている。その内2編は表題作とその続編だ。
主人公のみかげが唯一の肉親である祖母をなくし、祖母の知人である男の子とその母親の家に転がり込む。そんな話である。
今回よかったと思ったのは、心理描写だった。
そしてそれをよいと感じたのは、本の読み方が変わったことが原因だと思う。

今まで読書をしていて、その内容を想像したり情景を思い浮かべることがまったくなかった。
同期に辻村深月の「ぼくのメジャースプーン」を貸した時のことだ。
この話は小学校で飼っていたウサギが殺される事件から始まる。(こう書くとグロテスクものだと思われてしまつかもしれないが、哲学的な内容かつ最後にどんでん返しがあるのでぜひ読んでほしい)
これを読んだ同期は「過激なものを読むんだね」と言ったが、私はそうは全然感じなかった。
その情景を思い浮かべなかったからだ。私の頭の中には、ウサギの死体の映像など1ミリも存在しなかった。
ただただ、そのストーリーがよいということだけを咀嚼して、薦めていたのだ。

今思えば、よく読書をしていた頃、重視していたのは表現の美しさとストーリーだった。
ここ最近になってようやくその内容を想像する様になった。
「キッチン」では、みかげが祖母や大切に思っていた知人をなくしたその喪失感や、それでも日々の生活を続けていかなければならない虚しさ、そんなようなものが、比喩を用いながら丁寧に表現されている。
そこにすごく共感したのだ。
たとえばこんな文章も、今だから胸に迫るものがある。

闇の中、切り立った崖っぷちをじりじり歩き、国道に出てほっと息をつく。もうたくさんだと思いながら見上げる月明かりの、心にしみ入るような美しさを、私は知っている。

キッチン P.83

今であれば自分の経験に照らし合わせられるが、初めて読んだ頃は中学2年。たかだか14歳じゃそんなものに共感できないだろう。

昔の読み方が悪いとは言わないけれど、今の読み方の方がよっぽど好きだ。
自分が重ねてきた日々が、誰かの話や物語と共振できるのはなんて素敵なんだろう。
今回、「キッチン」のことを10年以上経ってもっと好きになれてよかった。
もう少し本を読んでみたいなと思えた。