この道はもう通らない

思い出はなにに紐づいているものなんだろう。
人によって、匂いだったり文字だったり、思い出すきっかけがあると思う。

私は2種類ある。
1つは曲を聞くこと。ダンスの振付はもちろん、その曲をひたすら聞いていた頃のことをよく思い出す。
カナダに短期留学に行っていたころ好きだった曲は、聞くと20歳の自分とカラッとした夏のカナダのキャンバスがよみがえる。
社会人2年目のころ聞いた曲は、毎週2回片道2時間かけて工場に通った記憶と、その帰り道を歩く途方に暮れた自分が出てきてしまう。
そして、もう1つは場所だ。

今日、久々に中学校の近くを通った。
祖母の誕生日祝いで花を買おうとしたのだけど、目星をつけてた花屋は休みだった。うっかりすぎる。
あわててGoogleマップで「花屋」で検索すると、徒歩10分くらいのところに花屋を見つけた。ちょうど母校の中学校の近くだ。
内心ヒーヒー言いながら自転車で行くと、気のいい花屋のおばさまが快く対応してくださった。Google先生と花屋のおばさまありがとう。ちなみに祖母は花をあげたら喜びすぎて泣いた。うつくしいピンクの薔薇を薦めてくださったおばさま本当にありがとう。(2回目)

その花屋は中学校の近くなんだけれど、家から最寄駅を通り越して行った。
ふだん最寄駅より向こう側には何も用事がなくて、その道を通ったのはもはや10年ぶりかもしれなかった。
変わったところと変わらないところ、急いでるのに無意識に記憶と答え合わせをしていた。あそこの空き地に犬がいたな、あの不動産は当時なかったな、曲がり角の家は変わらないな、なんて。
そして中学校への一本道を見たとき、不意に中学3年生の卒業式の日の私が現れた。

かなり友達の少ない私だけど、親友がひとりいた。
クラスは一度も同じになることはなかった。ただ、同じクラスの友達とその子は部活が同じだったので、自然と仲良くなり、2年生から私がその部活に入ることで同じ部活になった。
部活があってもなくても、いつもいっしょに帰っていた。だけど帰り道はほぼ反対側。校門を出てたったの100m、いつもゆっくりしゃべりながら、惜しむようにT字路でさよならをしていた。
私が言うのもなんだけどその子は真面目で、本も好きで、不器用なところがすごく気が合った。同じクラスになったこともなかったのに。

卒業式の日、学校近くの公園で同級生とボタンを交換したりして、騒いで、なんなら少し泣いて。最後はやっぱりその子と2人で帰った。
校門を出て100m、ゆっくりゆっくり噛みしめるよう1歩ずつ。
最後はいつものT字路で。
引っ越すわけでもない、今生の別れでもないのに、「ああ、もうこの道を二人で帰ることはないんだ」と、その時初めて卒業を実感した。
今日行った花屋の手前がそのT字路で、その時の私が、その寂しさが12年越しによみがえってきたのだった。

その親友はたまーにだけれど未だに連絡をとる。
結婚して一児の母になり、隣の区に引っ越したのであまり会えない。それでも誕生日を祝ってくれる、一生の友達だ。
12年前の私に会えたなら言ってあげたい。大丈夫、また会えるよって。