ガラパゴスと素数

ガラパゴス、というと、あなたは何を思い浮かべるだろう。
ガラパゴス諸島なのか、ガラパゴスケータイなのか、はたまたガラパゴスという形容詞なのか。

コロナで人と会いづらくなってから約1年。
思うのは、人とのコミュニケーションがさらに下手くそになったということだ。
「さらに」でわかるように、もともとあまり得意ではないところを、この1年で加速させてしまっている。
原因はわかる。関わる相手が減ったから、その相手との話題に特化してしまったからだ。
仕事の話、姪っ子の話、という風に、私の日常にあらわれる話題はかなり限られてしまったし、相手が減った分密度を増して、深まってしまっている。

誰かがテレビで言っていたけど、人は何らかの数字を持っていて、相手との最大公約数でしか話ができない。
たとえば私が30、友達が45であれば、共通の話題として15の話ができる。
だけどそこに6の人が加われば、一気に3の話しかできなくなる。
この数字の話でいくと、私は今きっと6の人になっているし、場合によっては、241みたいなだれとも分かち合えない素数になっているかもしれない。
ガラパゴス化と言われるような、特化型になってしまっているだろう。
人と話すとき、自分の手札の少なさにこっそり愕然とするし、困った顔で数枚の手札をじっと見つめているのだと思う。
手札を増やすことも考えたが、自分の日常に出てこないことを取り入れるのは、思ったよりも難しい。

ガラパゴス化。その島に住む動物は、よそで通用しなくてもきっと楽しい暮らしをしているのだと思っている。
ガラパゴスケータイだって日本人にはとても刺さり、根強い人気を誇っていた。
そしてそのネーミングが、ガラパゴス諸島を有名にしたし、島が意図していないある種毒のような意味を持っているにも関わらず、広く受け入れられている。
ガラパゴス化した私が、よそに通用しないまま小さくせまく生きるのか、はたまた意図せぬ形で広く受け入れられていくのかは、神のみぞ知る。